広告情報誌「企業と広告」(株式会社チャネル発行)よりエッセイの執筆依頼をいただき、月刊「企業と広告」2018年3月号「ずいひつ」のコーナーに執筆した内容が掲載されました。
運命のイタズラ
阿久澤 騰
大学院を卒業して、母校の大学の助手として数年間働いた後、一般企業の広報職についた。それ以降、勤務先は何回か変わったものも、一貫して広報を担当している。自分の専門だと思っているし、それなりに誇りも持っている。
とはいえ、広報の仕事内容や役割の世間的な認知度はまだまだかもしれない。イメージできる人はまだ世間的に多くない気がしている。いくら「広く報せる」との文字が割り当てられてはいても。
5年ほど前のことだ。当時、幼稚園に通っていた息子に「パパはいつまでコーホーなの?」と尋ねられた。「会社で必要としてくれているうちは広報の仕事を続けようと思っているけれど……」と私が応えると、息子はこう続けた。「パパはいつになったら、カチョーさんとかブチョーさんになるの?何になる予定なの?」
そこでやっと私は気づいたのだった。息子の頭の中でコーホーは「広報」ではなく「候補」に変換されていることに。選挙カーが連呼して通り過ぎる「○○候補」のイメージの方が息子には強い印象を残していたのだろう。
そうなると息子にとって、会社の中で私はずっと何かの役職の「候補」者で、宙ぶらりんの状態が何年も続いていることになる。脱皮前のさなぎの状態だ。自分の父親が、いつ「候補」というさなぎの状態から脱皮して、正式に成虫としての「何者か」になるのかについて関心を抱くのも当然のことかもしれない。
ちょっとした誤解だったわけだが、それも無理はないか、と自分の過去を振り返ると思わざるをえない。
さらに一昔前、学生時代の話になる。私は当時在籍していた日本の大学院で交換留学生に選ばれ2000年の1年間、アメリカ西海岸にあるワシントン州立大学で学んだ。当時、大学キャンパス内の寮で生活しており、食事は寮近くのカフェテリアでとっていた。
ある日、カフェテリアの同じテーブルで夕食をとっていたアメリカ人男子学生に「何を専攻しているの?」と訊いてみると「僕の専攻はPublic Relationsだ」という返事が返ってきた。
正直なところを告白すると、当時の私はPublic Relationsの意味も中身も知らなかった。Public 公共?大衆?Relations 関係性?という状態だった。そこで自分なりに理解して具体的なイメージを持ちたかったので、大学卒業後はどういった企業のどういったポジションへの就職を希望しているのかとの質問を彼に投げかけてみた。すると、アメリカの大手企業名がいくつか挙げられ、それらの会社の企業コミュニケーションの部署に行きたいと彼は答えた。
Publicという言葉から政府や自治体などを就職希望先としてイメージしていたが、その予想は裏切られた。企業コミュニケーションの部署ということから、たとえば広告やCMをつくる部署なのかと訊いてみると、そうではないという。 その後、逆に向こうから私の専攻についての質問が飛んできてPublic Relationsの話題はその場では、うやむやになってしまった。ただし自分の中で、もやもやしていた部分があったので、寮の自分の部屋に戻って英和辞書で調べてみた。するとPublic Relationsの訳語として「広報」という言葉が見つかったのだった。
そんな二〇歳過ぎまでPublic Relationsとその日本語訳である広報が頭の中で結びついてもいなかった私が現在、企業の広報担当者としてのキャリアを歩んでいる。運命のイタズラのようにも感じるが、それが人生の面白いところかもしれない。
月刊「企業と広告」(株式会社チャネル発行)2018年3月号掲載
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