熊谷保宏先生、ありがとうございました

 

まだ、信じられない思いの方が強いのですが、3月30日、熊谷保宏(くまがい・やすひろ)先生が心不全のため逝去されました。46歳の若さでした。

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日本大学芸術学部で教員をされている大学院の先輩から携帯電話に連絡をいただき、この訃報を知りました。ただただ驚き、信じられないというのが正直な感想でした。

熊谷先生は、ワシントン州立大学、日芸の大学院の両方で僕にとって先輩にあたります。

大学院生時代、有志の仲間でやっていた研究会のゲスト講師に登壇していただいてからのおつきあいでした。

ネットのトレンドだとか、ガジェットにも興味を持たれていて、僕もそっち方面の情報を普段から収集し試してみるのが好きだったこともありその勉強会の打ち上げの席で一緒に盛り上がりました。

「お、それ知らないな!メモする!」と一介の大学院生だった僕の話の一部を手元でメモされていた姿が今も強く印象に残っています。

僕は2002年くらいからコンテンツ・マネジメント・システムを使ったWebサイト作りやデザインにかなりはまっていて、打ち上げの席でもその話を熊谷先生にしたのだと思います。

その日をきっかけに、大学の学科や先生の所属していた学会のサイト制作のお仕事依頼をいくつかいただき、当時、隆盛を誇っていたmovable typeで制作させてもらいました。

今回、熊谷先生の訃報が掲載された日芸演劇学科のサイトも、おそらく僕が大学院生時代に作成しmovable typeベースのサイトをどこかの時点で熊谷先生がwordpressに移行しそのまま運用されていると想像しています。

僕はその後、英国に大学院留学した後、助手として母校の大学に戻りました。

そういえば助手時代に一度だけ熊谷先生の演劇ワークショップに参加させてもらったことがありました。

簡単なゲームを集団で楽しんでいくうちにいつの間にか演技をさせられている、演技の世界に身を置くようになっているという体験型ワークショップでした。

演技をすることに苦手意識を持っている人も抵抗を感じず「いつの間にか」演技に没頭させられている、ちょっとした魔法にかけられたような不思議な体験でした。そのときの熊谷先生のファシリテーションもものすごく自然体でした。

僕は大学の助手を経験した後、民間企業で広報担当者の道を歩み、現在はネット企業の社長室で広報+αの仕事をしています。

前職の湖山医療福祉グループの企画広報室時代、深く関わっていた江東区の巨大老人介護施設のオープンイベントに日芸の学生さんにいろいろと協力してもらったことがありました。

そのイベント当日、勤務先の演劇学科の学生も参加していたこともあってか熊谷先生も姿を見せてくれ
「やあ、久しぶり! 阿久澤さん 元気で活躍されているみたいですね~」といった風に声をかけてくれ嬉しかったのを覚えています。

また、私が所属していた湖山グループのトップである湖山泰成代表が監修したアートの役割について論じた本を熊谷先生は読まれていました。

by カエレバ

そうしたこともあり、熊谷先生が担当されていた日本大学芸術学部のアートセラピーをテーマとした授業の特別講師として湖山泰成代表を招聘していただきました。

湖山代表、日本大学芸術学部にて医療福祉現場における芸術の役割を語る

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授業当日、広報担当者として湖山代表に同行し、パワーポイントの切り替えなどをして講義サポートを僕は担当していました。湖山代表の講義が授業終了より15分くらい早めに終わりました。
そのタイミングで熊谷先生から次のような形で突如話を振っていただきました。

「卒業生で昨年までこの大学の助手をされていた阿久澤さんにもお話を伺いたいと思います」

母校の大学の現役生に仕事の話をする貴重な機会をいただき、非常にいい経験になりました。その授業が終わった後、熊谷先生は湖山代表と私にお礼の言葉を述べてくれ、最後に「じゃあ、阿久澤さん、また今度、ほんじゃ、また」という言葉が私が記憶している熊谷先生の最後の言葉となりました。

日芸の先生をされている大学院の先輩から熊谷先生の訃報について電話とメールで教えていただいたのが4月1日。

電話を受けたときはエイプリル・フールのことなんてまったく頭になかったのですが、日芸の演劇学科のサイトへの訃報の掲載日が同日だったこともあり、遊び心あふれる熊谷先生のエイプリル・フールのいたずらであってほしいと心から願っていました。

そして、翌日、そして今日も演劇学科のサイトにアクセスし、実はあれは「エイプリルフールの一環で……」というような情報がアップしてあるのを期待したのですが、そういったことはありませんでした。

また他にもニュースサイトなどで熊谷先生の訃報が報じられていることを確認し、残念なことに現実として受け入れるしかなさそうです。

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いつも自然体で軽やかに熊谷先生は生きていました。出版記念パーティーといったフォーマルな席で一緒になったときもパーカーとジーンズで会場に現れ、自由で熊谷先生らしいな、と思った記憶もあります。

これからもいろいろな場面でお話しする機会があるだろうな、一緒にできることもあるだろうなと漠然と期待していただけに今回のことは非常にショックで、まだまだ気持ちの整理がついていません。

熊谷先生、本当にいろいろとお世話になりました。
そして、心より感謝しております。ありがとうございました。

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