Postmodernity

ポストモダンとは何なのか。基本的な概念やバックグランドは理解しているつもりだが、おさらいしてみる。リオタールの『ポストモダンの条件』は基本的文献の一つ。それ以外にもいろいろと議論されているし、その定義自体もいろいろと問題を常にはらんでいる。

近代を支えてきた大きな物語(grand explanations)が崩壊した後の文化・社会・政治的な傾向とでも言えばいいのか。大きな物語とは、理性主義・西洋中心主義・男性中心主義(家父長制)、進歩主義による科学技術に対する盲目的な信頼などである。他にももちろんたくさんある。

理性・科学・西洋、他にもマルクス主義や、さまざまな政治的・社会的権威がさまざまな形で脱中心化され揺らいでいる、そこから滲み出てきた一つの流れという印象を僕は個人的には持っている。


たとえば、グローバリゼーションなんかはおおいにポストモダン的な現象といえる。国家という古い枠組みの権威の力は圧倒的に弱まってきていると、僕なんかは感じている。それは、交通の発達による人間の流動性やコミュニケーションや情報関連の技術革新に負うところが多い。インターネットによる世界的情報の流通もそうだし、日本にいるうちの奥さんとビデオ・チャットで連絡を取っているときなどに僕はリアルにそれを感じることができる。僕がいるイギリス、奥さんのいる日本、どちらの政府にも公共機関になにか書類を申請したり、手続きをとったりしなくとも国境を越えてインターネット経由で顔を見ながら話をすることができる。国の権威やシステム、地理的・空間的距離を意識することなくコミュニケーションをとることができる。同時に、かつてなら国家・場所・空間などとしっかり結びついていたアイデンティティは脱中心化され、ゆらいでいるのも意識することになる。

旧来の権威の失墜というのがポストモダンの一つの傾向かもしれない。ただ、同時に権威の乱立による混乱や価値観の流動化というものも同時に進行している。

たとえば、国家という枠組みの中にテーマパーク、たとえばディズニーランドのようなものができると、その空間内で完結した権威というものができる。日本だけでも結構なテーマ・パークがあるからテーマ・パークという小世界の権威はある意味で乱立していることになる。ファッション業界などはそのさいたるものと言えるだろう。昔は少数のブランドが権威を争っていたが、次から次へとそういったブランドが増え、商品も増え、どれが権威でそうでないか、ということが曖昧になってきている。こうなると、権威云々というよりも記号やイメージの差異を消費者がどう受け止めていくかということこそが問題となり、むしろ権力はこの場合消費者に移行しているのではないか、とも言える。

ポストモダニティもしくはレイト・モダンとも言われる現象はますます加速してきているように思える。

関連記事

  1. ロドニー・キング事件

  2. 『ヴィジュアル・カルチャー入門』

  3. 二つの研究発表を終えて

  4. Clockersに関するメモ

  5. Cultural Typhoon(Day 2)

  6. 無造作にあの研究誌が

  7. 都市のヴィジュアル・イメージ

  8. ロゴライゼーション

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

最近の記事

アーカイブ