Cultural Typhoon(Day 1)

早稲田大学、教育学部棟で行われている第一回「CULTURAL TYPHOON」の一日目。午前中のセッションの途中から参加。「カルチュラル・タイフーン」は、カルチュラル・スタディーズや文化研究に興味を持つ人々のために開かれたイヴェント。分科会ごとの研究発表会が基本だが、大きな会場はシンポジウム的な形式をとっていたり、夜には学会でよくある懇親会ならぬパーティーがある。


今回は、父親から借りたビデオ・カメラと、自分で安く購入した三脚を会場に持ち込んで撮影しながら、いろいろな研究発表を聴いた。
海外の研究者の発表もけっこうあった。特に、他のアジア地域の大学でカルチュラル・スタディーズがどのように展開されているのか、といったトピックは個人的に深い関心を持って拝聴した。
たとえば、韓国の大学においてCSを導入している大学の力の入れようはかなり本格的だ。国や大学の予算に頼らないで、シンポジウムや研究会経由で本を出版し、研究資金に充てる。大学においては、英語ディスカッション・グループ、理論が現代社会問題にどう応用・実践できるかを検討するグループ、またそれをすべて英語でやるキャンプ……いろいろ面白そうで実践的な試みがなされている。しかし、その一方ではCSがまったく導入されないというか、大学レヴェルでその存在そのものを無視することを決めこんでいるような場所もあるという。その原因として、それぞれの学問のなわばり意識が強く、学問の枠組みを軽く飛び越え、浸食していくそぶりを見せるカルチュラル・スタディーズの存在が脅威とみなされることがあげられていた。
まあ、これは日本でも同じ状況が存在することは明らかだろう。早稲田の政治思想専攻の大学院生も、カルチュラル・スタディーズと言葉を発しただけでも、研究室内で村八分にされそうな雰囲気があるそうである。
会場には、毛利さんと吉見さんがいて、日本のCSに関してオプティミスティックな毛利さんと、いささかペシミスティックな吉見さんが英語で意見を交わしていた。独立法人化と同時に進む文部科学省主導型の再編成や補助金獲得競争に絡み合う政治的な状況は吉見さんの所属する研究科のような場所の立場を危うくさせているという。
 午前のセッションを終えてから、大学近くのタイ・レストランで食事をとる。
午後のセッションでは初めに日本的なるものの表象というプレゼンテーションを聴いた。ここでは文化循環の考え方としてカリフォルニア・ロール・モデル(?)の提唱がなされた。それ自体はあくまで「つかみ」で内容的には、ロンドンにおいてクールだともてはやされている日本文化の表象について、これからこういった側面から研究します、という報告ともいうべきものだった。僕の関心とだぶっている部分がたくさんあったので刺激的な内容であった。
 その後、「東アジアの現在」がテーマになっている大教室でのセッションを聴きつつヴィデオ録画して帰宅。今日は、パートナーの両親、兄、妹とその旦那さんと娘が日帰りで遊びに来ていたので賑やかだった。

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