午前中に、授業の関係でSilverlake life: The View From Here(1993)を見た。ゲイのカップルの一人がHIVポジティヴを宣告されてから、実際に死に至るまでの記録をVIDEO DIARYとして残した40時間以上にも及ぶフィルムを90分にまとめた作品。主人公が実際に亡くなった後のベッドに横たわった死体は僕にとっては衝撃的だった。午後の授業で、この映画についてディスカッションした。僕はこの映画の中盤まで多用されたクロース・アップの意味について語ろうと思っていたが話の流れ上、heterosexualな世界に対するメッセージ性や政治性に触れるにとどまった。
夕食を終え、次の授業用のリーディングもわりあい進んだので、リラックスするために映画15 minutesを見る。
午前中に見た映画は、一人の人間が死ぬまでの過程をじっくり時間をかけて追っていったのに対し、この映画はばたばたと人々が理不尽に殺されていく。見るからにハリウッド映画でブロックバスター(超大作)だという印象を始めは受け、ちょっとシニカルな見方をしていた。しかし、途中からかなりアメリカ文化やアメリカのメディアのありようを強烈に風刺した政治性を持った映画だと言うことがわかってきた。メディアのセンセーショナリズム、アメリカ文化が好む刺激剤としての暴力・殺人・SEX、またある意味で理不尽な法律の抜け道や、さまざまなレヴェルでの行きすぎた超資本主義的な価値観に対する皮肉や批判がストーリーの中に放り込まれている。
ただ、僕の意見としては、本当のコアな部分では白人男性優位主義的な社会的ヒエラルキーや表象に揺さ振りをかけているとは言えないと思う。表面的ではない部分で、非常に保守的なイデオロギーも感じる。
それでも、議論や分析のしがいのある映画だという印象を強くした。殺人犯の仲間が映画内でずっとビデオ・カメラを回している。その意味でメタ・フィクション的な視点からも論じることができるだろうし、このビデオ撮影はこの映画を読み解く上で大きな鍵になっている。
そろそろ、FILM&VISUAL CULTUREクラスのためのペーパーを準備しなければいけないが、分析するフィルム・テキスト候補の一つにしておこうと思う。
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