都市のヴィジュアル・イメージ

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The City of American and European Photographyクラスの最後のクラスのテーマはBirminghamである。来週行われる授業用のリーディング・アサインメントの論文Introduction :The Creative Destruction of Birminghamを読んでいて自分の中で再認識したことがあった。


まず、論文の内容を僕なりに要約すると以下のようになる。

 バーミンガムは近代の象徴の街として人々の記憶に残されている。あくまで近代であり、現代ではない。第二次大戦後の再発展はバーミンガムという都市にtransatlanticな近代性をまとわせた。trans-atlantic…この言葉は簡単に言えばヨーロッパ大陸とアメリカ大陸を表す。いい文脈で使われるときもあるが、この文脈では、強い特徴のない、もしくは個性のないという意味にとらえられると思う。実際に現代のバーミンガムのシティー・センターを見れば、巨大なショッピング・モール群が乱立するなど、、アメリカ的な特徴に満ちている。
 戦後の都市開発は、バーミンガムの都市としての個性を失わせた。都市のアイデンティティを重んじるイギリス人的視点からすれば、バーミンガムは失敗に終わった近代のプロジェクト(重化学工業などに代表される)を象徴するだけの特徴のない都市といった風に特に1970年代以降、認識されるようになった。しかし、1980年代中頃から、都市再生プランが持ち上がった。そして1988年に、都市再生のための議案が通過した。それ以降、バーミンガムの都市イメージの再構築がはじまるわけだが….


ふと、ここまで読んで気づいたのは同じ1988年といえば、日本で国家レヴェルの地域再生プロジェクトがトップ・ダウン方式で開始された年に当たる。つまり、竹下登内閣が実施した「ふるさと創世1億円事業」の幕開けの年だ。当時の僕は、政治家が今度は地方に金をバラマキ始めたな、くらいにしか思っていなかった。その一億円という額の大きさもぜんぜんピンとこなかった。
 上記の論文は一都市のヴィジュアル・イメージを問題にしているが、「ふるさと創世」事業以来、日本では地方の都市だけではなく市町村のヴィジュアル・イメージも大きく変わった。
 僕が生まれ育った群馬県の小さな村でも、温泉が湧き、宿泊所、リクリエーション施設、スポーツ施設、文化施設などがここ十年の間に次々と作られ、風景を一新した。僕の奥さんの出身の山梨の小さな町周辺からも僕は同じ印象を受けている。このあたりの具体的なことは中川理『偽装するニッポン』(彰国社,1996)に詳しい。
 また、東京などにおいても文化的なものを強調した商業施設、たとえば大江戸温泉物語などができているが、ふるさと創世事業家で開始された第三セクターの商業施設の一握りの成功がこういった都市での商業施設に大きなヒントを与えているのだと僕は考えている。
 1990年代以降、都市から市町村にいたるまで文化的に意味ありげな(にわか歴史資料館や急造の観光地などに代表される)空間が急速に増えていった。しかし、この時にいろいろな意味でそれぞれの地域の人々が自分の住む町やコミュニティーのアイデンティティーを問い始めるいいきっかけにはなったと思う。
 なによりも「ふるさと創世1億円事業」は、当時の僕が予想していたインパクトを遙かに上回って、信じられないほど日本のヴィジュアル・イメージを大きく塗り替えたと言える。そして、それはまだ終わってはいないのだ。

コメント

  1. 初めてコメントいたします、chikuichiと申します。
    海外に住んでいらっしゃるのですか!?しかも授業楽しそうだし、このサイト楽しみにしています。
    サイト登録させて頂きました。
    では

  2. そちらのページの写真、見せていただきました。lomoで撮影された写真、味わいがあっていいですね。実は、なんどかそちらのエントリー過去にも拝見しました。カッパピア閉園のエントリーとか、僕も長い間、群馬県民だったので時代の流れを感じましたね。
    そういえば、あのエントリー、今回のこちらのエントリーにも関連していますね。すぐにトラックバックさせていただきます。

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