最近、ポピュラー・カルチャーにおいて日本語のカタカナをよく見かけるようになった。もちろん、これは映画Matrix(1999)とその続編の影響だろう。黒いディスプレイ上を蛍光がかった反転した緑色のカタカナ文字が垂直にディスプレイの底辺に向けて落ちていく。この映画の代表的な舞台装置だ。
また、最近公開されたタランティーノ監督作品KillBill(2003)のイギリス国内のポスターにもカタカナで大きく「キルビル」と書いてある。
この文字が日本語のカタカナだという認識を持っている人は日本人と日本語をわりあい真剣に勉強したことのある人以外にはわからないだろう。
ただ、ポピュラー・カルチャーの生み出すイメージ(=表象)がわれわれの認識に与えるインパクトはかなり大きい。それは、政治的な意味合いを含むこともあれば、ファッションなどのトレンドを形成する役割を果たす場合もある。
マトリックスがサイバーな日本語のカタカナ・イメージを形成し、さらにキルビルでのカタカナ採用は「クール」で「危険なにおいのする」カタカナ表象を作り出したような印象を僕は持っている。
このポストモダンな世界に記号はあふれている。しかし、それでも変化や差異を人々は求め、消費することに貪欲であり続ける。日本語のカタカナは今まで、公になっていなかった新たな記号と言っていいだろう。今まで見たことのなかった新しい記号やイメージは強力な刺激剤となって人々を魅了する。
イギリスに来てから、たいていの衣類はH&Mで購入しているが、ここにもカタカナをモチーフにしたスウェット・シャツが売られていた。写真はバーミンガムのシティー・センターのH&M内で撮影したもの。クイリリラ?クニトニトモイ?ここに意味は必要とされていない。完全な記号として独立した価値をこの文字たちは勝ち取っているのだから。
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