小野 耕世『ドナルド・ダックの世界像』(中央公論新社,1999)を読んだ。
マンガ評論家の著者が、ドナルド・ダックへの思い入れを素直に語りつつ、そのキャラクター成立の歴史とその後の経過などを追ったもの。
この本で紹介されている内容を少し深読みすれば、第二次大戦中、プロパガンダ映画に積極的に関わることで、ディズニー・キャラクターの表象は、ナショナリズムと結びついて、成典化を果たしたのではないかと考えられる。正統派のミッキー・マウスではなく、ドナルド・ダックをプロパガンダのアジテーターとして起用したのは、考えてみれば当然のことかもしれない。
また、ディズニーと言えば、今日、巨大資本に支えられたグローバル企業だが、かなり早い時期から海外市場を意識していたことが、わかる記述もあった。たとえば、作品制作上のマニュアルには、作品内の街は「どこにでもありどこにもないような(p195)」街として描かなくてはならない、といった内容や、 ローカルな種族や民族を愚かな存在だと描いてはいけない、といった内容(こちらはもちろん道徳上の配慮もあってのことだろうと思うが)から、それは推察できる。
このあたりだけでも、ナショナルな戦略とグローバルな戦略が早い時期から展開されていたのを確認できて興味深かった。
この本の後半では、有名な『ドナルド・ダックの読み方』(アリエル・ドルフマン、アルマン・マッテラール著。1971年に原著はチリで出版された)に関して、なかなか詳細な記述がある。それと関連して指摘されていたのは、ディズニー・キャラクターには父親や母親が不在であること、消費者はいても生産者が描かれていないこと。考えてみたこともなかったが、そう言われてみればそうである。
表面的なレヴェルでは、総合的な「ドナルド・ダック・ガイド」とも読むことができる。しかし、ディズニー文化研究に興味がある人にとっては、ここでさらりと触れられている問題を材料として掘り下げれば、きっと面白いものがでてくるのではないかという予感を抱かせる内容になっている。
(覚え書き[気になった章やページ] 第5・6章、p,189,195,197, 201,208,214)
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