原稿のヤマ

ここ数ヶ月間執筆している単著として出版したいと考えている原稿がヤマを迎えている。
今回、全体を貫くテーマは「市民教育の一環としてメディア・リテラシーを位置づける」もの。
現在、僕なりのメディア・リテラシー論が一番明確になるポイントにとりかかっている。先はまだ長いが、このポイントさえ書き終えれば気分的にかなり楽になることは確かだ。心理的にゴールがぐっと近づいてくる。


メディア・リテラシーへのアプローチとして、いきなりメディア批判やメディア表現といったポイントに踏み込む前に確認しておくべき部分があるのではないか、というもの。
リテラシー教育とメディア・リテラシー教育も根っこは同じであるはずだ。リテラシー教育は民主的な社会を維持、向上させていくために社会に参加するメンバーが自らが考え判断する上で最低限必要な常識や能力を身につけさせることを目標としている。
メディア・リテラシー教育も社会の構成員である市民が自らが考え判断できる常識や能力を身につけることを目標としている。
そう考えれば、メディアの変更や問題点を云々する前に、まず民主社会における主権者であることをそれぞれ個人が自覚することを出発点とするべきだというのが僕が強調したいポイント。
ここがブレなければ、メディア・リテラシーは単なるメディア批判や自己満足的なメディア表現を促すだけの教育や取り組みといったものに終わらず、社会に開かれ、自ら深く考えることのできる市民を育成していく上での大きな力になるはずだ。

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