ヒッチコックの『裏窓』、Rear Window (1954) を観た(日本にいる、うちの奥さんから「勉強で忙しいはずなのによくそんなに映画ばかり観ていられるわね」などと嫌みを言われたりする。しかし、映画関連の授業が必須になっているので、必要に迫られて観ている映画も少なくない。この映画もその一つ)。
ハリウッド映画における伝統的なプロットの組み合わせ、ヘテロセクシュアルな恋愛と、他の要素を組み合わせているという意味ではかなり平凡だが、実際のところ複雑でかなり含みを持った作品だと言っていい。
映画を観るという行為は一つの代表的な娯楽形態だが、主人公を中心とした他人の人生におけるドラマをのぞき見している、という意味合いも持ちうる。いわば、他人の行動や秘密をのぞいてみたいという衝動や欲望に支えられたvoyeurism(のぞき見趣味)的行為でもあるわけだ。
この映画の主人公は初めは、一方的に他人の生活をのぞき、それにより自分ののぞき見趣味的な欲望を満たしていた。しかし、のぞかれていた者の視線が彼に向かってきた時になって、ある意味ではのぞき見られていた被害者の痛みを知ることになるのだ。
作品としては、ほとんど説教くさいところのない娯楽作品という風に受け止めることも可能だ。しかし、映画を観るという行為そのものに関する問い直しがそこに含まれているのは明らかだ。
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