はじめに
同じ仕事やプロジェクトに取り組んでいても、そのメンバー同士の取り組む姿勢や目標のイメージがバラバラだとうまくいきません。後からいろいろと問題が出てきます。
その意味で、周囲の人間に、目標や計画、プロジェクトの意義などを理解・共有してもらい、さらに(他人ゴトから自分ゴト化して)当事者意識を持ってもらうべき場面は多くあります。
しかし、それを実現するのはなかなか骨の折れることではないでしょうか?
あなたは、そうした場面にアプローチするための具体的な方法をお持ちでしょうか?
そうした場面では、物語の力を利用することが有効だと私は考えています。
なぜなら物語の機能の一つに、第三者に当事者意識を持たせる、というものがあるからです。
映画 『幸せのきずな』
たまたま先日、『幸せのきずな』という映画をDVDで見たのですが、このことを考えるのにうってつけでした。
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その中に、イメージの力で一瞬にして他人に当事者意識を喚起する場面があったからです。
この映画、実話に基づいた「車のワイパーのスピード調整の技術」を考案した男とその家族の物語です。
「車のワイパーのスピード調整技術」と聞くとなんとも地味な気がしませんか?
確かに前半やや退屈に私も感じました。単純な発明家の物語だと早合点したからです。
しかし、そうではありませんでした。
彼の発明した技術をフォードのような大企業が何の断りもなく「盗んだ」事実が発覚したからです。
紆余曲折があり、主人公は法廷で争う決意を固めます。
しかしながら、弁護士たちは、自動車会社との和解や示談を受け入れることによって金銭による解決を勧めます。
彼はそれを望みませんでした。そして、彼は結局法廷で自分を自分で弁護するという選択をします。原告であり弁護人の立場をとったのです。
その裁判の最終弁論で彼が口にした言葉が印象的でした。
「私はこの法廷に入ってくる前から、胸元にバッジをつけています。これは不可視の、目に見えないバッジです」
「……それは正しい手段で社会に貢献したいという意志を象徴するバッジです。」
(フォードの原告や弁護士側を指さして)
「彼らには立派な大企業を象徴するバッジが胸に輝いているかもしれない」
「しかし、正しい手段で社会に貢献する意志を象徴する良心のバッジはつけてはいないようです」
(陪審員に向きなおって)
「私はあなたがたの胸に社会的良心を象徴する私と同じバッジがついていると信じています」
映画の場面を正確に再現したものでありませんが、だいたいこのような流れです。
不可視のバッジ、目に見えない良心のバッジというイメージは絶妙です。それを聞いた陪審員の具体的な身体の一部についている様子をイメージさせるからです。
「あなたがたの良心を信じます」といった抽象的な表現では生み出せない臨場感を生み出しているのです。
不可視のバッジをイメージさせることで陪審員の当事者意識はかなり高まり、明確になったはずです。
つまり、自分の胸に不可視の良心のバッジがあるか、ないかを想像するだけでなく、そのことを自問自答するようになる。
こうなると、もう対岸の火事ではなくなります。
おわりに
具体的なイメージを与えることにより、第三者の当事者意識を喚起する。
使いこなせればかなり強力な手法です。
これは、法廷のような相手を説得するという場面だけでなく、問題意識や目標を仲間と共有したい場面でも有効なはずです。
そうした場面で、あなたと相手との間にどのような「透明なバッジ」をイメージし、それを共有すると物事がうまくいくか、考えてみてはいかがでしょうか。
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