ジャーナリズム論2(第四回)

赤羽先生の初授業日。
授業風景
講師室に先生がいらっしゃっていると聞いて挨拶にいく。新井先生や飯沢先生よりも年齢的にはひとまわり上の印象である。
話の枕は、ヨルダンの空港で毎日新聞記者が起こした爆破事件と、ニューヨーク・タイムズの記事捏造発覚事件だった。次に、ごく簡単な先生の自己紹介をされた。赤羽先生はオリンピックの取材を専門にされてきたスポーツ記者である。
まず、現在の話としてオリンピックにどのような種類のジャーナリズムが係わっているのか、という話を取材形態などのカテゴリー分けをしながら説明された。
本日の授業はオリンピックの歴史がメインだったといえる。古代オリンピックから近代オリンピックまで。初期の近代オリンピックには、平和友愛のイデオロギーが込められていた。その後、始まったオリンピックの政治利用。その具体例が、東西冷戦下のオリンピックのボイコット合戦であった。ロサンゼルス・オリンピック以降加速したといえる商業化。オリンピックの商業主義化が競技の数を増やしていったこと。
授業風景
僕個人の印象でも、最近のオリンピックは、近代オリンピックが目指していた平和と友愛などというイデオロギーからずいぶんかけ離れたところに来てしまっているように感じる。ナショナリズムを高揚させるための装置と化してしまったかのような感があるのだ。
そんなに一生懸命見ていたわけではないが、同時多発テロ後の、アメリカで行われた冬季オリンピックは、明らかに怪しい大会だった。まず、アメリカ国内で、テロ後に盛り上がりを見せたナショナリズムをさらに盛り上げるための装置としてオリンピックが政治利用された。また、韓国などのアジアの国々によるジャッジに対する抗議には、ほとんどとりあわなかったのに対して、ヨーロッパの有力国からの抗議には、比較的まともに対応し、時には判定が覆ったりした例があった。また、一部の競技で判定競技の審判同士の間に密約があったことも明らかになった。また、競争の激化が招いたと思われるドーピング問題は今後も起こることだろうと思う。アメリカ留学中の授業で、そういった競争激化やナショナリズムの激化、という流れにオルタナティヴを示す一つの試みとしてゲイ・オリンピックが開催されている、という内容の話が出たことがあった。ゲイ・オリンピックにおいては、ナショナリズムを意識させる国ごとのエントリー制度もなく、競争よりも、一緒に楽しむことを目的とするため、競技に順位はつけない、といった取り決めがあったように思う。まあ、この方が、近代オリンピックの黎明期に掲げられた平和や友愛というイデオロギーに合致するとは思うけれど、これがヘテロセクシュアルを世界を巻き込んだ大きな流れになる……というのも考えにくい。
先生の話は、オリンピックに関する広いトピックに及んだ内容だったが、僕自身はオリンピックとイデオロギーの関係についてもう一度考え直してみたい気分にさせられたのだった。(2003.5.15)

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