パニック

0042.JPG夜九時くらいだろうか、同じ階に住むディパーニが血相を変えて、我が家を訪ねてきた。「子供が大変なので救急車を呼んで!子供が意識を失っているの!」ということなので、交流館の防災センターに電話して救急車を手配してもらった。ただ、ディパーニはパニック状態で話す英語もやたら早口になっていたので、うまくその説明が聞き取れなかったので、現場である四階のラウンジに直行した。すると、そこにいたのは多くは中央アジアと中東系の人々であった。二歳半だという女の子の周りに大人たちが集まっているという感じ。話を聞くと、昏睡状態に陥っているという。ともかく、救急車を呼んだのでソファに横にして待っているようにと説明する。


 その女の子の両親はカザフスタン人であった。女の子の意識が戻り始めたので、大丈夫だといって、女の子を自分たちの部屋に連れて行ってしまう。待てと強く言ったのだが。ともかく救護隊の人々がやってきたので、部屋まで行って通訳をする。部屋の中には、他の中央アジア系の両親の友人と思われる人もいて、複数の人間のやりとりを英語<->日本語また、日本語<->英語の通訳をしなければならなかった。もともと女の子の様態がうまく把握できていなかったのと、ディパーニが駆け込んできたときのパニック状態が若干僕にも飛び火していたのと精神的に昂揚していたせいか、初めのうちうまく言葉が出てこない瞬間があった。四方八方から繰り出される会話を必要なものだけ、整理しながら通訳するのはなかなか骨が折れた。ただ、通訳している間に状況は見えてきた。子供が何かの拍子に泣いて、あまりにも泣くことに集中したもので呼吸をするのを忘れてしまったのだということらしい。しかし、その間に子供の意識も戻ってきた。実際に病院で体調をチェックするか、と子供の両親に救護隊員が確認すると、もう大丈夫だ、過去にもあってこれで四度目だ、ということなので、救護隊の人たちには帰ってもらった。僕はその後、ラウンジに戻って不安そうにしていた人々に状況を説明すると、みんな安心したようだった。
 ディパーニが駆け込んできた時、本当のパニック状態に陥っている人を見たのはほとんど初めてだったかもしれない。そういう状態の人を見ても、自分が心理的にシンクロしてしまうとは想像していなかったので、ひどくびっくりした。「落ち着いてくれ」と口で彼女に言いながらも、自分を精神的に落ち着かせることができなかったのだ。パニック下において人災が拡大してしまうような状況がなんとなく理解できた気がした。

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