そのタワーレコードが2度目の破綻に追い込まれたのは、8月20日のこと。全米89店を運営するMTSが、巨額の債務負担に耐えきれず、連邦破産法11条の適用を申請した。
2006年9月、アメリカのタワーレコードが倒産したことが報道された。あのタワーレコードが、と僕は思った。 僕が足繁くアメリカのタワーレコードに通っていたのは、1995年でよく好きなジャズのCDを購入していた。当時、僕は語学留学中で、カリフォルニア州サンディエゴに滞在していた。タワーレコードが西海岸の大きな都市には確実に店舗が存在し、各店舗の売り場面積の広さにいつも圧倒されたものだった。当時、タワーレコードは若者文化の中心的な場所の一つだった。 しかしながら、タワーレコードの倒産劇に心の底から驚いたというわけでもない。やはり時代の流れなのか、というのが正直な感想だった。
なぜなら音楽流通のあり方が、ここ5年ほどの間に激変し、既存の音楽ビジネスや音楽産業のモデルがうまくなりつつあることは僕も認識していたからだ。
2000年の一年間、ワシントン州立大学の交換留学生としてキャンパス内の学生寮で暮らしていた時、もう既にその流れを感じていた。インターネットの高速ブロードバンド環境が整った学生寮では、音楽ファイルがネット経由でさまざま形でやりとりされていた。やりとりされていた音楽ファイルは、主にmp3と呼ばれるもので、人間の可聴領域外の音楽的要素を大胆にカットすることによってファイルの容量を軽量化したものだった。
当時、ナップスターという音楽ファイル共有ソフトが人気を博していた。同じナップスターを使っているインターネット・ネットワーク上のユーザーの音楽ファイルをアーティスト名や曲名で検索できるだけでなく、見つかったものはダウンロードして、言ってみれば自分のものにすることができる。それは、音楽ファイルが複製や再現が可能なデジタル・データだからだ。 同時に、著作権を侵害されたとレコードCD会社大手などが、ナップスターを相手取り裁判を起こし、アメリカのメディアもその経過を注目しながら報道を続けていた(後にナップスターは敗訴)。
2003年にロータリー財団国際親善奨学生として、イギリスのバーミンガム大学大学院に行くことになり、その準備はそれまでの留学準備とは大きく変わっていた。それまでは、留学先でどうしても聴きたいCDを数十枚厳選してスーツケースに詰めるというのが通常のパターンだった。しかしながら、その時は自分のCDコレクションを片っ端からパソコンに読ませて音楽データとして、mp3化して持っていくことにした。物理的なCDやプラスチックのCDケースといったものは一枚も持っていかなかった。
さらに、音楽の有料ダウンロード販売を手がけるアップルのiTunes Music Storeなどが登場し、レコード店に行かずとも、曲を試聴し、購入することがインターネット経由で行われるようになってきている。 タワーレコードのような既存の物販ビジネスにも新しい競合が現れている。インターネット最大の書店amazonは、書籍だけでなく早い時期から音楽CDやDVDなどの映像コンテンツの販売にも力を入れている。amazonもiTunes Music Store同様、タワーレコードのような店舗に行かずとも物理的な音楽コンテンツを購入できるサービスを消費者に提供している。
それだけでなく、デジタル携帯音楽プレイヤー、アップルのipodなどが登場し、小さな携帯ラジオほどの機器の中に、数千から数万曲の音楽ファイルを持ち歩いて好きなときに聴けるようになった。こうなると、CDを一度購入してから、携帯音楽プレイヤーなどで聴けるようにパソコンにデータを取り込む作業が必要なCDよりも、始めから携帯音楽プレイヤーで持ち出せる音楽ファイルで購入した方が、消費者にとっては利便性が高くなってくる。 このように考えてみれば、既存の音楽コンテンツの物販ビジネス・モデルが先細りしつつあるのは容易に想像できたことだった。通常からそのように考えていたがゆえに、タワーレコードの倒産を比較的冷静に受け止めることができたのである。
ここではタワーレコードの倒産のニュースをきっかけとして、音楽を一つの例として文化流通や消費の変化を簡単に振り返った。それにしても、20世紀末に現れたネットワークや新しい技術は、この十年ほどを振り返っただけでも、私たちの文化消費のあり方や、ライフスタイル、広い意味での文化的な環境に大きな変化をもたらしつつあることがわかるだろう。
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