研究

カルチュラル・スタディーズ: イントロ(3)

カルチュラル・スタディーズのアプローチ
 ここまで、カルチュラル・スタディーズの文化政治学としての側面を駆け足で見てきました。さて、これからは議論を一歩先に進めることにしたいと思います。実際に、カルチュラル・スタディーズにおいて、文化や社会を考察する上でどのようなアプローチが有効だと考えられているかについてお話したいと思います。まず、結論から先に言うならば、具体的な文化や社会を通して、イデオロギーの働きというものにいつも関心を寄せています。
 イデオロギーとは?
 ただイデオロギーと耳にしてピンとこない人たちも少なくないでしょうから、ここで簡単に説明しておきたいと思います。イデオロギーとは、観念形態と訳されますが、簡単に言うと、~イズム、~主義のことです。たとえば、20世紀もしくは冷戦を代表するイデオロギーは資本主義と社会主義(別の言い方をすれば、共産主義)ということになるでしょう。なんらかの主義を掲げるということは、自分の立場を表明することであり、それは当然ながら政治性を帯びてくることになります。ここで例にあげた資本主義と社会主義は、あまりにも考え方や理想が相容れなかったので、地球上の多くの国々を西側と東側、真っ二つに二分するような政治的構造を作り上げてしまった。そういった意味で、対立や力関係の裏側にそういったイデオロギーが一つの原動力として蠢いている場合は決して少なくありません。
大衆音楽を通してアメリカ社会を考える
 それでは、具体例を用いて、カルチュラル・スタディーズのアプローチと言いますか、考え方を説明してみたいと思います。なにせ、イズムであり主義であるイデオロギーは私たちが手にとって触れたりつねったりすることはできないので、特定の文化実践や社会実践を通して語ったり分析するしか基本的にはすべがないのです。
 まずは大衆音楽を通してアメリカ社会を考えてみたいと思います。たとえば、ラップ。エミネムを皆さんはご存知でしょうか?彼は2000年以降出てきたアメリカの白人ラッパーで、ラップ史上、最も大きなセールスを記録した人物です。彼が主演した半自伝的映画8milesは2003年に日本でも公開されました。エミネム以前から、もちろんラップ・ミュージックは歴史を刻んでいました。しかし、彼のデビュー以降、ラップはアメリカのミュージック・シーンにおいて急速に支持を得、人気を獲得し、メインストリーム音楽の仲間入りを果たしたと言っていいのです。この事実だけなら、エミネムはラップをブレイクさせたという意味で卓越した実力のあるラップ・アーティストであると、話を終えていいでしょう。
 しかしながら、歴史を遡ってみると似たような話と言いますか、同じような現象があることに気づくのではないでしょうか。たとえば、ロック、ロックンロール。エルヴィス・プレスリーの名前を聞いたことくらいはあるでしょう。この人も、マイナーだったロックンロールという音楽を一気にメジャーに押し上げました。
 さて、ここで皆さんに考えてほしいのは、そもそもラップやロックはどんな人々によって生み出され、発展させられてきたのかということです。それは、言うまでもなく、アメリカの黒人たちですね。彼らが、紡ぎ出したラップやロックなどの音楽を彼ら黒人たちが歌ってもメインストリームの音楽シーンにおいて人気を獲得することはできなかった。しかしながら、エミネムやエルヴィスなどの白人が歌うことによって、それ以前がまるで嘘のようにラップもロックもマイナーなサブカルチャーから、メジャーなメインストリームへと押し上げられる。(間)ここには、ある種の力関係がはたらいているのではないでしょうか。おそらく、僕が言わんとすることは皆さんにはもうわかっていると思います。つまり、ここでは人種というものがアメリカ社会における力関係として機能していると考えることができるわけです。このように、文化やその歴史の中に息づいているイデオロギーをすくい取ることが一つのカルチュラル・スタディーズの実践の仕方です。先ほど述べたようにイデオロギーはイズムであり主義であるわけですが、この分析から、人種(差別)主義、さらに言えば白人優位主義といったアメリカ社会の底流に流れている問題含みのイデオロギーというものを抽出する結果になったわけです。
 
反日運動
 もう一つ、最近頻繁にマスコミなどで騒がれている中国や韓国における反日運動を取り上げてみたいと思います。たとえば、サッカーのワールドカップアジア予選において、中国のサポーターが日本の国歌斉唱時にあからさまなブーイングを行ったり、試合後日本の大使館の車に対して破壊行為を行ったりということがありました。スポーツの国際試合というのは基本的に国対国、国家の代表チーム同士の対戦であり、それを見るものの心には簡単に愛国心の火がつきやすいのも事実でしょう。日本人の多くの人は、普段愛国心なんてあるのかないのかわからない、意識しないという生き方がごく自然なのではないでしょうか。しかしながら、オリンピックの時期になるといきなり「がんばれニッポン!」などとテレビに向かって叫び出す。それはわりあい日常的な風景だと言っていいでしょう。こういったことからスポーツ競技も愛国主義や国家主義といったイデオロギーの影響から常に自由ではないことがわかると思います。
 民衆レベルで行われる反日運動とは別に、中国や韓国の政治家たちも神経質になっているかに見える日本の靖国神社参拝問題なども存在します。
 これは一つのレベルにおいては、日本が戦争の反省を忘れ、かつてのように軍国主義化することに対する警戒心からなされていると言われています。
 また、別の見方をすることもできます。中国や韓国の政治家は自分たちの政治戦略の一環として、靖国問題を利用しているのではないかと。靖国問題に関しては、中国や韓国側に歴史的な経緯として非難される要素はほとんどありません。そういったわけで、中国や韓国の政治家達が日本の首相の行動や姿勢を避難することに何のリスクもありません。
 最近になって、この問題を中国や韓国が昨年などと比べると、より頻繁にこの問題を持ちだしてきている印象を私だけでなく皆さんも持っているかもしれません。この件に関しては、まあ僕の個人的な当て推量で申し訳ないのですが、それぞれの政府の苦しい事情があるのではないかと思います。
 韓国はしばらく前に盧武鉉(ノムヒョン)大統領の不正資金疑惑などのスキャンダルが持ち上がり、内政というか国政に韓国民の目を向けさせたくない。国内政治で手詰まりになったとき、大衆の関心を日本問題に向ける、いわゆる「反日カード」を切ることは今に始まったことではありません。
 一方、中国は経済発展が著しく、一見、国として勢いがあるように見えますが、なかなか大変な時期を迎えていると思います。市場経済を導入して、経済は自由化したものの、政治体制は相変わらず社会主義というか共産体制を維持しようとしている。いわば資本主義と社会主義の共存を目指しているわけですがこれは難しい。特に若い人の共産党、つまり中国政府離れが加速している。それを逆のベクトルに向け、体制の弱体化を止めるために、これは半植民地主義的な動きだととりあえずは言えるかもしれませんが、「反日カード」を切らざる終えなくなっているのではないか。そう僕は当て推量しています。こういった話の中でもさまざまなレベルで複数のイデオロギーがひしめきあっているのがわかると思います。
終わりに
 さまざまな個人・民族・国家・人種が調和し、相互に思いやり、尊重しあいながら生活する状況ももちろんあります。しかしながら、ある一つの文化的価値観は他の文化的価値観と両立しないことのほうが多いのも現実です。また、文化はすべて平等なわけではないのです。それぞれの文化集団は規模・力・影響力の上で異なっているのが常ですし、支配的なものもあれば被支配的なものもあるからです。
 カルチュラル・スタディーズが提供する文化や社会に対する分析は万能なわけではありませんし、みなさんに政治的な見方ばかりを押しつけるつもりは毛頭ありません。ともかく、ここで僕は社会や文化を眺めたり、分析する上での一つの視点、一つの角度について語ったに過ぎません。しかし、社会や文化における日常の政治力学を意識しながら生活していると、新たな、今まで意識することも見ることもできなかった世界がみなさんの前に拓ける可能性は十分あると言っていいと思います。

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