文芸特殊研究1(第四回)

前回のしりあがり寿氏の授業内インタビューを受けてのフォロウ・アップ第一段、という位置づけに本日の授業はなるだろう。まず、先週の授業直後に出された課題レポートの中から一つをピック・アップし、課題を書いた学生本人に原稿を朗読させる。その直後、湯山先生はご自分の立場から、読み上げられたレポートの内容に関して、プラスとマイナス面を明確にしながらコメントしていく。先生のめりはりのある声と、よどみのないコメントは、授業をスピード感のあるものにしている。これが雑誌を制作する側の現場感覚というものだろうか。

個々のアドヴァイスもかなり具体的だ。その基準では、学校の外、もっと具体的にいえば商業ベースに乗っている雑誌などの世界ででどのくらい通用するか、しないか、という点である。複数の雑誌での編集長経験を持つ先生の言葉はやはり説得力がある。また、理路整然としていて、聞いていて気持ちいいものだ。 学生も本気で課題に取り組んできたようで、レポートの内容から、いろいろと自分なりの色を出そうと工夫している様子がわかった。インパクトのある導入で読み手を引きつけようとするもの。手書きの文字自体をデザイン性のあるもので際だたせようとするもの、ひたすら自己卑下や自己批判をしながら自虐的な笑いをとろうとするもの。また、比較的冷静にしりあがり寿氏の人柄や作品を分析したもの。文学的な表現に凝ったもの。どの学生も、それなりに読者という他者を意識した内容になっていた気がする。 湯山先生から生徒へのコメントを僕が覚えている範囲で書き出してみると次のようなものがある。 「……君の作品は冒頭で飛び道具が出てきてインパクトはあるのだけれど、中盤以降大人しくなってまとめようとしている感じがこちらにもわかってきてしまう」 「紋切り型の内容を突き詰めていって、全然紋切り型でない内容と結論にたどり着く……さん独特のセンスは面白い。どこかの雑誌で使ってみたいくらい」 「……さんのレポートはデザイン的に凝っていていいのだけれど、文章を読む側にとってはいらぬ先入観を与えてしまうこともあるので注意した方がいい」 「……君の表現には舌を巻きました。今回の中では一番でした。具体的な内容を抽象的なところに還元して、それを再び目に見える形の比喩でヴィジュアライズして読み手にわからせる、これは普通なかなかできないことです」 こういった形で、自分のレポートなり批評が、学外のいわばリアル・ワールドのリトマス試験紙にかけられた結果を知らされるわけで、学生たちにとって、とてもエキサイティングな経験になったに違いない。「先生のアドヴァイスを基にもう一度書き直してきます、読んでいただけますか」と質問する学生もいて、本気で授業に取り組んでいる様子が、こちらにも伝わってきた。   (2003.5.15)

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