ティーチング・アシスタントの新年度初出勤日だった。新任の非常勤講師の先生が多かったので初授業後の感想などをいろいろと聞いた。大学からの帰りのバスの中でもう一人のTAの学生と話していて、彼の同級生にビート・ジェネレーションの作家を研究している人間がいるという話が出た。また、大学の先生方に混じって飲んでいた時に、一人の先生が、僕のまったく知らなかった日本におけるビートニクの流れについてごく簡単に話してくれた。
そういえば、ビートニクにまつわる断片的な思い出がいくつかある。まず、1995年、サン・ディエゴに語学留学していたわりあい初めの時のことだ。僕がアメリカ文学好きだということを知っていた英語講師の一人が「ノボル、ゲイリー・スナイダーがパーティーに来るんだけれど、会ってみないか」という風に誘ってくれた。それは魅力的な誘いだったけれど、ビートの大御所と会っても当時の僕の英語力ではまともな話をできそうになかったし、向こうに気まずい思いをさせるのではないか、と考えて断ってしまった。今から思うと、あの時は若かったので変なプライドが邪魔をしたのだと思う。というのは、会ったとしても、まともに相手と言葉で渡り合うことができなければ意味はない、といったような気持ちがどこかにあった気がするからだ。
次は、また同じサン・ディエゴ時代で、語学留学も終盤に入った頃のことだ。語学学校の中の大学準備過程コースのようなところにいた時、大学のアメリカ文学の授業に近いものを受けられることになった。初め、ニュークリティシズムだとか、詩の解釈だとか、まいったなあ、と思っていた。しかし、途中からがらっと雰囲気が変わってビート・ジェネレーションの作家を中心に議論していくことになった。担当教師のマルサ・ケネディーはやたらバロウズ好きであった。今となっては、記憶はかなり断片的で、なぜだか印象に残っているのはディスカッションをクラスメートだったスペイン人作家がやたらリードしたこと。もう一つは韓国人の英語の発音の綺麗な女の子が「私たちはGeneration Xなのよ」、と話の中で言っていたけれど、Generation Xってなんだったっけ?とピンとこなかったこと。実は、ダグラス・クープランドのGeneration Xの邦訳本を日本で購入していたのに読んでいなかったのである。読んでおけばよかった、と思ったので覚えているのだと思う。
最後は、2000年のワシントン州立大学交換留学時代の授業の一つで、ずばりビートに関する授業を取った。授業を担当していたのは博士号を取ったばかりのまだ若い先生だったが、ビートたちや関係者とけっこう広く深いネットワークを持っていて、授業中に生きているビートたちを招いたり電話インタビューを行ったりと刺激の多い授業であった。ビートニクたちは仏教や原爆投下の問題などに興味を持っている人間が多いことから、いろいろと話をふられることが多かった。あるビート研究者がやってきた時、僕は「君は仏教徒かね?」と訪ねられた。「いいえ」と答えただけなら良かったが、「いかなる神も信じていません」と思わず続けて言ってしまった。その後一瞬の沈黙があって、気まずい雰囲気を自分が作ったことをなんとなく感じた。
別にキリスト教圏だと言うことを忘れていたわけではなかったけれど、日本人=仏教徒=神道とかそういうステレオタイプ的な図式で見られたことに反発を感じたのかもしれない。 そんなことを思い出してみると、ビートにまつわる記憶というのはたいしたものはないし、どちらかといえば後味が悪いものが多い。やれやれ。
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