友の死を悼む

友達からのメールでタカシ(森 敬君)が亡くなったことを知った。

タカシはサン・ディエゴに語学留学したときに知り合い、帰国後もつき合いのある日本人の一人だった。そして、頼りがいのある男でもあった。

 正直なところ、すごく親しい間柄だったとは言えないけれど(つまり彼の行動範囲は広かったはずなので、僕より親しい友達はたくさんいるはずだということ)僕とは違った生き方をしているという点でいい意味での刺激を与えてくれる友人の一人だった。


 タカシの人生について詳しく知っているわけではない。彼は慶応大学在学中に大学を休学してサン・ディエゴにやってきた。そこで今回メールで知らせてくれた友人のショウゾウ、僕、また僕の奥さんと知り合っている。慶応大学を卒業後、国際的に海上貨物を扱う会社日本郵船に入社。タカシは仕事の関係で海外に長期滞在することが多かった。帰国するとショウゾウ経由で簡単な近況を知るというパターンが多かった。ブラジルに半年行っていたんだ……どこそこへ仕事で長期滞在していたんだ……と言った風に。

 一度、タカシに誘われて友達と集まって神奈川で真夏にバーベキューをした(後でショウゾウに確認してもらったところ、2001年7月15日、日曜日のことだった)。河原で落ち合ったとき、自前のテントなどのアウトドア・グッズがタカシの車にぎっしりとつめられていた。綺麗なガール・フレンドも紹介された。僕の記憶ではサン・ディエゴ時代から彼はいつもとびきり綺麗なガール・フレンドを連れていた。そして女の子達はいつもタカシに夢中だった。

 周りに気を遣いながら大胆にリーダーシップを発揮するのが僕がタカシという人間から受けた印象だ。実をいうと、この日、僕はバーベキューの準備段階で熱射病気味になってしまった。そのくらい暑い日だった。タカシは「ノボル(僕の名前)は日影に座ってろよ」と言った後で、手際よく肉や野菜を焼いていった。

 バーベキューを終えて、そろそろお開きだなと思っていたら、タカシが「箱根にいい温泉がある。汗かいたし風呂浴びてすっきりしてから帰ろうぜ」と言い出した。そして実際に、僕らは箱根まで風呂を浴びに行った。

 確かに、すごく雰囲気のある温泉場だった。熱射病気味でふらふらになっていた僕も、そこでしばらく冷水に浸かることで元気を取り戻すことができた。風呂から上がった後、女性陣を待ちながら畳に寝ころんでタカシ、ショウゾウ、そして僕というメンバーでしばらく馬鹿話をしたり、近況報告をしあったりした。結局、僕がタカシに会ったのはその日が最後になった。最後に裸のつき合いができて良かったと思っている。

 彼の訃報を伝えたショウゾウからのメールによれば「僕は、昨年お見舞いに行ったのが最後になってしまいましたが脳神経の病の為です」ということだった。入院していたことさえ知らず、また海外勤務で忙しいのだろうと勝手に想像していた僕にはどう受け止めていいのかわからなかった。まさか帰国直前にこんな知らせが飛び込んでくるとは思わなかった。

 メールを受け取って、すぐに僕がしたことと言えば、ショウゾウに頼まれたとおりサン・ディエゴ時代の友人に彼からのメールを転送することだった。ショウゾウのメールには、タカシの通夜に関する案内が記されていた。僕は参列できなかったが、代わりに僕の妻であるヨシコが参加した。彼女にとってもタカシは友人である。

 ヨシコは通夜に参加した後、電話で様子を報告してくれた。サンディエゴ留学当時、僕やショウゾウと同じ大学内の寮に住んでいたユウヤからも通夜に参列したとのメールでの報告が届いた。もちろん、ショウゾウからも。

 タカシは僕より一つ年上なので31歳で亡くなったことになる。僕らの誰よりもお世辞抜きにエネルギッシュに生きていたタカシが先にこの世からいなくなってしまったなんて、僕も含めてみんな信じられないと言うのが正直なところだと思う。

「まっすぐに駆け抜けた彼に対して恥ずかしくない生き方をしていきたい」とショウゾウがメールに書いていた。確かに、彼は気持ちのいいくらいにまっすぐに人生を駆け抜けた。タカシは若くして亡くなってしまったけれど、彼の人生はエネルギーに満ちあふれ、充実したものだったと想像できるのが僕にとっての一つの救いだ。
タカシの存在を知っている僕らは、彼の死を正面からきちんと受け止めて、彼の分までしっかり生きる義務があるように思う。

最後に

僕がこの文章を書いて、こういった形で公開することに踏み切ったのには理由がある。友人からのメールを転送した後、物理的にも時間的にも通夜に参列できない状況にあった僕はいてもたってもいられず、インターネット上のどこかに故人の情報がないかと検索エンジンでいろいろ試してみたが、見つけることができなかった。
そこで、僕がタカシに関して持っている情報というのは本当にごく限られたものなのだが、彼の人生の軌跡の一端でもこのインターネットという情報ハイウェイにも刻んでおきたいと思って、こういった形を取ることにした。
偶然にも、タカシの情報を求めて奇跡的にもここにたどり着いた、という方は彼に関してのコメントや情報を残してくれるとすごく嬉しいです。

コメント

  1. 私もサンディエゴ時代に森敬君と
    ともに遊び学んだ友人の一人です米川真介と申します。本当に奇跡的にこのウェブサイトにたどり着きました。
    敬とはかなり仲良く付き合いさせてもらっていました。ホント、ショックで食事も出来ない位です。
    阿久沢さんの友人三王彰造君と友人関係にありました。彰造の連絡先(メルアド)が分かれば教えてください!

  2. コメントありがとうございます。
    シンスケさんの名前はサン・ディエゴ時代に、
    敬と彰造、どちらからも耳にした記憶があります。
    彼の死からもう一年なんですね。
    信じられない思いがまだ強いです。
    確かに、彰造のほうが、生前の彼に関しては詳しい話ができると思います。
    このコメントにリンクしてあるメールアドレスにご連絡下さい。
    折り返し彰造のメールアドレスをお知らせしようと思います。
    よろしくお願いいたします。

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